不動産鑑定士 森公司

私が不動産鑑定士を目指した動機! 

 下記職歴に記載の通り、最初は金融機関で特に住宅ローン業務(受付・相談・審査・貸付・実行)を長く担当しました。その当時は、いわゆる土地神話なるものが社会一般的にも信じられていた時代背景もあり、担保至上主義の状況下で、融資の担保としては不動産抵当権が中心でした。従って、受付案件の審査過程においては、担保不動産の評価が重要なポイントを占めておりました。当時の融資業務担当者は「宅地建物取引主任資格」の取得が最低限の必要十分条件でしたが、勉強の結果何とか試験に合格することができました。

 しかし、住宅ローンの受付相談をしていくなかで、評価に限らず不動産に関わる様々な難問に遭遇することになり、何とかそれらを理解し解決してお客様の役に立ち喜んでもらいたいと真剣に考えるようになりました。また、当時の会社では、担保評価においては審査部が絶大なる権限を持っておりましたので、個人的にも、不動産評価のプロになり、営業店だけではなく本部審査部等にて融資の中枢業務も担当したいという欲望が湧きあがってきました。もともと何か大きな国家資格を取りたいという気持ちもあり、宅地建物取引主任資格を取得した際の勉強をさらに発展させ、不動産に関する最高資格とされる「不動産鑑定士」資格を取得することで目的達成したいという気持ちが強くなってきたのです。これらが、不動産鑑定士を目指した私の純粋な動機であったと思います。

変わらず抱くお客様への思い。

 当時この目標を先輩鑑定士に相談したら「不動産鑑定士試験は相当きびしい試験なので、中途半端な気持ちでは到底合格することはできないので覚悟して臨むように」と忠告を受け、その時にプレゼントだと言って「要説不動産鑑定評価基準」という分厚い本を紹介してくれました。早速その本を読んでみましたが、あまりにも内容が難しくて全く理解できませんでした。ただその本の中の総論第一章「不動産の鑑定評価に関する基本的考察」にある(不動産のあり方・三者の相関結合・鑑定評価の必要性・鑑定評価の社会的公共的意義・不動産鑑定士の責務等)には強く感銘を受け、それが「不動産鑑定士」資格取得のためのさらなる動機付けになったものと思います。私は、大学経済学部では理論経済学(古典派経済学)を専攻しておりましたので、特に総論第一章における、価値論(使用価値・経済価値・交換価値・市場価値等)が絡んだ部分に少なからず興味・関心を強くもったのではないかと思います。それから、不動産鑑定士試験を目指すと友人に話したら「そんな難しい試験は絶対に無理だからあきらめた方がよい」と言われましたが、これが私にとっては逆に発奮材となり、さらなる動機付けになったものと記憶しております。ただ、鑑定士になった今でも、総論第一章「不動産の鑑定評価に関する基本的考察」の部分は大好きで時々読み返します。この点は実務においても専門家として絶対に必要不可欠の部分でないかと正直に思っております。

 難関といわれる不動産鑑定士試験ですが、本人の合格に対する信念・執着心如何だということもまず間違いないのではないかと思います。初心忘るべからずではありませんが、現在も具体的な鑑定評価を担当する際には、お客様である依頼人の気持ちを理解するとともに、総論第一章「不動産の鑑定評価に関する基本的考察」の部分を念頭に対応しているつもりです。そして今後もこの気持ちだけは忘れないで持続していきたいと考えております。

不動産鑑定士試験での苦労話や失敗談 2次試験に3度の挑戦

 こうした動機で不動産鑑定士資格取得を目指してスタートしたものの、それは決して安易なものではなく相当に困難な壁・ハードルが待ち受けておりました。当初は、軽く考えたのか独学にて受験しましたが全く歯が立たず、当時2次試験は3日間ありましたが、初日の午前中の試験だけでほとんど白紙答案の状態で試験場を退場するという情けない結末でした。

 翌年はどうしても合格したいという一念にて、学校に通うことを決意し、会社と学校とを両立する中、かつ家庭にも少なからず犠牲を強いる中で、とにかく自分の限界に挑戦する毎日が続きました。週3日・午後6時から3時間、土・日は午前・午後のほぼ1日というかなり厳しいスケジュールでした。普通の日は、当時会社が終わるのが大体午後6時〜7時であったため、それから学校に到着すると遅刻がほとんどで、途中で買った駅弁を食べながら一番後ろの席に座って静かに講義を受けたことが本当になつかしく思い出されます。また土・日の答練の結果もあまりよくなく、途中何度も挫折しそうになりましたが、何とか頑張りぬくことができ、自信を持って2度目の受験をしました。解答には自信はありましたが、結果は見事に不合格でした。この時には正直言って相当落ち込みました。しかし、どうしても「不動産鑑定士」資格を取得し、お客様に役に立って喜んでもらいたいという気持ちと、本部審査部に行きたいという当初からの思いが強く、発奮してもう三度目の挑戦を決意しました。  

 当時の2次試験会場は東大法文館で、冷房はもちろんないため、7月末の試験当日になると必ずといってよいくらいに梅雨が明けて猛暑になり、試験内容そのものよりも暑さとの戦いといっても過言ではなかったと思います。実際、答案を書いていて、暑さのあまりにペンのインクが滲んできてしまうこともありました。また受験生の中には、暑さのあまり気分が悪くなり退場した人もいたことを覚えております。監視している試験官が「これは地獄の中の戦いだ」と話したことも記憶にあります。それから、試験当日にこんなこともありました。いよいよ試験開始10分前になって、どうしてもある箇所の記憶が不安になり、見直したい一心で試験官に申し出てトイレに行き、そこで自分がまとめたノートで確認した、まさしくその箇所が出題されたのです。このときは本当にほっとした記憶があります。
 
 こうした悪戦苦闘の末に試験も無事終了し、いよいよ合格発表の当日を迎えました。雨が降りしきる中、朝一番で見に行きました。そして、ついに自分の名前を見つけたときには、うれしさのあまり傘もささずに雨が服を濡らすのも構わず、しばらく喜びをかみしめながら歩き続けていたことを思い出します。

プレッシャーの中での3次試験

 2次試験合格の後は、次の項でお話する2年間の実務研修・補修等を経て最終試験の3次試験に挑戦することになりました。しかし、2次試験合格は会社内にも周知のこととなったため、3次試験には絶対に1回で合格しなければならないというプレッシャーが強くのしかかることとなりました。3次試験は秋頃に行われたこともあり、暑さに苦しめられることはなかったのですが、社内の先輩鑑定士は皆1回で見事に合格しているため、私だけが失敗することはプライドにかけても許されないし、もし不合格だったら二度と出向先から会社に戻ることはできないという雰囲気もあり、2次試験の時よりむしろ3次試験の方が苦しかったというのが正直な気持ちでした。また当時は、2次試験が難関であり、3次試験は極端な失敗・ミスがなければほぼ合格できるとされていました。

 そのようなわけで、絶対に1回で合格したいという気持ちから、夏休みに妙高高原で仲間7人と背水の陣で10日間合宿を行い、徹底的に受験対策に取り組みました。また、恥ずかしい話ですが、暗記する必要がある項目は、自宅の壁や天井等いたるところに貼り紙をするという徹底振りで臨んだことも今となっては大変なつかしく思い出されます。

 試験当日の出来事で今でもはっきり覚えておりますのは、午後の計算問題で締め切り10分前になって計算ミスに気づき、残り10分間で修正できるか迷った挙句、思い切って修正できるところまでやろうと決断して必死に取り組み、冷や汗をかきながらも何とかぎりぎりで間に合ったことです。その結果、幸運にも仲間7人全員1回で見事に合格することができました。こうして得た3次試験合格は、2次試験合格に比べても格別にうれしかったことがはっきりと思い出されます。
 
 当時は現在と比べて予備校も少なく、特に3次試験を対象とした予備校はほとんどありませんでした。また予備校といっても現在のようにコンパクトにまとまったテキストなどはなく、講義内容は大学での講義と似たようなものでした。民法は担当講師(実務に長けた弁護士)が、六法全書を条文どおりに第1条から順次解説するという方式であり、経済学も大学の経済学の教授が経済原論の分厚い本を解説するというものでした。特に民法は、全体構造がなかなか思うように把握できず、この講義だけは別途、司法試験の予備校に通うことにするなど理解に努めました。ただ、経済学部出身の私ですが、大学在籍当時よりもむしろ真剣に経済学を勉強した実感を得たのは正直うれしかった思い出です。その他の科目についても同様であり、結局のところ、自分自身で理解するしかなかった記憶があります。これは今となっては笑い話ですが、自宅に帰って勉強し始めたとき、一生懸命努力・工夫してまとめたノートを、当時3〜4歳ぐらいだった私の子供に滅茶苦茶に破かれてしまい途方にくれたこともありました。また、会社での食事会の日に、大事にして読み込んでいた本をタクシーの中に忘れてしまった悔しい出来事も、今となってはなつかしく思い出されます。

 先輩鑑定士や予備校の先生にアドバイスを受けたことで特に記憶に残っているのは「不動産鑑定士試験というものは、受験するものがどれだけ合格したいという気持ち・信念が強いかにかかっており、そのためにはある程度の犠牲もやむを得ないものである」という言葉です。私はそのために、好きなお酒は止めませんでしたが、好きなテレビ番組、特に野球中継を合格まで見ずに過ごしました。今振り返るとよく我慢できたものだと自分ながら感心するくらいです。そして、残業等でどんなに帰りが遅くなっても、また食事会等でアルコールが入っていても、毎日必ず机に座って本を開くことを絶やさなかったことは、やはりどうしても合格したいという信念・執念が強かった証拠だと自負しています。これもまさに笑い話になるかもしれませんが、試験前日は、これまで勉強して記憶してきたことを忘れないようにと、駅や自宅の階段等を頭を抱えながら歩いたものです。頭からその記憶したことがこぼれないようにと、半ば真剣にこだわった当時の徹底ぶりは、今になって思い出すと本当に笑いだしてしまいそうです。しかし、このような試験合格に対する強い信念・執着心が、結局のところよい結果を呼び寄せたのではないかと思っております。

不動産鑑定士なりたてのころの苦労話や失敗談
2年間の実務研修・補修で自己を磨く。

 苦労して合格した2次試験の後に、某鑑定会社に出向して行った2年間の実務研修・補修の思い出をまず綴りたいと思います。

 当初は先輩鑑定士たちに混じって意気揚々としながらも、内心は不安でいっぱいだったことが思い出されます。初めて鑑定会社に行った時には、事務所内に満ち溢れていた専門書に圧倒され、私は果たして鑑定士という専門家になれるのだろうかという不安が一段と強くなりました。また、これまで勉強してきた鑑定評価基準等にはないような言葉・文言(標準化補正・地域最有効使用・一種何円・赤道・青地等)、略語(宅見・宅造・自建て・貸家敷・2項道路等)が飛び交っており、私自身はよく理解できていなかった分野(簡易鑑定・調査報告書・添付鑑定・第三鑑定・差額賃料・開発法等)の仕事も行われていました、私はそれらを理解するだけでとにかく無我夢中でした。

 初めて先輩の先生に指示を受けて、先生同行により調査に出かけることになりました。対象地だけでなく、市役所・法務局・不動産会社等においての基本的な調査要領の指導を受けましたが、正直なところその時には先生の言っている意味はほとんど理解できていなかった気がします。その後は、私単独にて調査することになりましたが、結局不備だらけで、何度も市役所・法務局・不動産会社等に足を運んだことを覚えております。特に今でもはっきり記憶にあるのが、対象地前面道路幅員の調査で失敗し、夜に懐中電灯を照らしながら一人で何度も測定したことです。また、先生から千葉県松戸市の地代の事例収集を指示され、借地していると思われる道路沿いの事業所や地主と思われる農家を中心に一軒一軒、足が棒になるくらいに訪問して歩きましたが、結果1事例しか収集できなかった時には、本当に情けない気持ちになったことを覚えております。市役所の建築指導課や道路課等でも質問するのですが、私自身がよく理解できていないため聞き方が的確でなく、さらには市役所の担当者が言っている意味・内容も把握できないため、何度も訪問したことを覚えております。

 そのようなわけで調査中心に無我夢中で頑張っておりましたが、実務研修・補修も最後に近づいたある日のこと、先生から立退料相当額の評価についての指示がありました。その時は正直なところどうしてよいかわかりませんでしたが、これまで勉強してきた知識を活かしいろいろな参考文献を参照して、何とか単独で書き上げました。そして先生から予想外の「免許皆伝・OK」の言葉をいただいたときは、2次試験合格よりもうれしかったことを覚えております。また、借地契約の更新料の評価を指示された際には、借地人の立場になって真剣に相談しながら納得のいく評価書を書き上げることができました。その結果、借地人から穏便に更新でき解決できたという連絡を受けた時は、まさしく不動産鑑定士という専門家としての冥利に尽きたような思いがして、本当に鑑定士を目指してよかったと心から思いました。また、雪国にある県の評価を担当した時には、出張当日に猛吹雪となり普通の靴では歩くのも難しいとのことで、あわててゴムの長靴を買って現地に到着したところ雪が相当積もっていて境界の確定などできる状態でなく、必死に雪掻きをして何とか確認したことも今思い返せばよき思い出です。

笑い話にも似た私の修行時代

 これも今となっては笑い話になるかもしれませんが、対象不動産を調査中に大きな犬が急に吠えてきてあわててその場を離れたことや、ホテルの評価の際に現況写真をとろうとしたら偶然に男女二人連れが前を通りかかり、勝手に写真を取ったことが不愉快だと言われ相当に困惑したこともありました。また、当時は取引事例については、鑑定協会の事例よりも、生の事例を不動産会社等に直接訪問して収集するのが一般的でしたが、最初の頃は訪問することに躊躇がありました。訪問先の不動産会社の中には、担当者が言っていること自体、本当かどうかよくわからない場合もあり、うまく聞き出すのに相当苦労したのが実際のところでした。

 さて、実務研修・補修も無事終了し、3次試験合格と同時に出向から会社に復帰しました。こうして、本部審査部にて担保評価・鑑定評価等を本格的に専門家として担当することになりました。それと同時に営業店研修会の講師も初めて指示を受けましたが、3次試験に合格したからといって、まだまだ業務を十分に理解したとは言えず、いわば車の運転免許取立てのペーパードライバーのようなものでした。営業店の融資担当者50〜60人程度を前に、初めて講義をすべく壇上に上がったときには、足が震えて何を話しているのか自分でもわからなくなってしまいました。頭の中は真っ白という状態で事前に準備しておいた内容の半分も話せなかったことを覚えております。また、営業店の担当者やお客様からの質問・相談に対しても、私自身の理解不足で満足のいく回答ができなかったというのが正直なところでした。担保物件処分に絡んで財団評価を担当した時は、宮崎県の豚の精肉工場の物件について機械器具を含め相当数を調査することになりました。その際、いろいろな精肉工程を観察したのですが、その印象が強烈でしばらくの間、豚カツを食べることができませんでした。おまけに工場での昼食に先方から豚カツが出された時には本当に困ってしまったものです。

 それから当時はまだデジカメが普及していなかったため、一度、遠方の対象物件の現況写真を取った際にうまく取れず失敗したため、その後は必ず現地近くで現像して確認していたものでした。また、宅地見込地の評価で山林のような物件の現地調査を行ったとき、他に交通手段がなく現地に行くまではタクシーを利用したのですが、帰る方法をすっかり忘れてしまって調査が終わる段階になって気づき、あわてて民家を探しても見つからず、携帯もない時代で連絡のしようがなく途方にくれて、仕方なく約2時間もかけて歩いて帰ったこともありました。

 現在は名実ともにまさしく専門家の不動産鑑定士であると自覚しておりますが、これまでのいろいろな苦い経験や失敗等が、今となっては全てよい思い出として残っているという実感があります。そして、それら一つひとつが不動産鑑定士としての私の血となり肉となっているのだと確信しております。

職歴(実績) 

昭和52年〜平成3年 中央労働金庫(旧東京労働金庫)
 当初は営業店にて、預金、融資(特に住宅ローン業務)、渉外業務等を担当する。その後本部審査部にて、審査役・不動産鑑定役として審査(特に不動産の担保評価・競売評価・鑑定評価等)、管理回収業務及び営業店研修会(不動産の担保評価等)の講師等を担当する。評価対象不動産の主な類型は、更地・借地権・底地・自用の建物及びその敷地・貸家及びその敷地等である。

平成4年〜平成11年 みずほ不動産調査サービス㈱(旧興銀不動産調査サービス㈱)
 調査部及び鑑定部にて、調査部長・鑑定部長として不動産の調査、担保評価、競売評価、財団評価、鑑定評価、不動産取引相談業務等を担当する。対象物件は北海道から沖縄県にまで至り、全国的に調査・評価を行い、取り扱い件数も相当数に上る。 また、みずほ銀行(旧日本興業銀行)や興和不動産その他関連会社の営業点研修会(不動産の担保評価等)の講師等を歴任する。評価対象不動産の主な類型は、更地・借地権・底地・自用の建物及びその敷地・貸家及びその敷地・工場財団等である。

平成12年〜平成16年 東京リース㈱
 本部管理部にて、調査役として不動産の調査、担保評価、競売評価、鑑定評価業務及び不動産取引相談業務等を担当する。対象物件は北海道から沖縄県にまで至り、全国的に調査・評価を行い、取り扱い件数も相当数に上る。評価対象不動産の主な類型は、更地・借地権・底地・自用の建物及びその敷地・貸家及びその敷地・工場財団等である。 

平成17年〜現在 トーエー不動産鑑定㈱
 調査部にて、上席不動産鑑定役として不動産の調査、鑑定評価業務及び新入社員研修会の講師等を担当し現在に至る。対象物件は北海道から沖縄県にまで至り、全国的に調査・評価を行い、取り扱い件数も相当数に上る。依頼主は、一般人だけに限らず、官公庁・金融機関・デベロッパー・弁護士事務所・会計事務所等幅広く、また評価対象不動産の主な類型は、更地・借地権・底地・自用の建物及びその敷地・貸家及びその敷地・工場財団・継続賃料等である。

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